2023/10/30

Kindleで何年か前に買った金原ひとみ『AMEBIC』の、何年か前に自分がハイライトを引いていた部分。

 

生きるために必要な仕事というもののために、生きる時間を割くという事は、とてつもなく儚く、切ない。

金原ひとみ『AMEBIC』

 

残業終わりの夜汽車にロマンのかけらもなく、充血した目に入ってくる情報量なんてたかが知れてるんだけど、過去の自分から今の自分へ連なる言葉の偶然、連続性にぶつかって嬉しいものがあった。自分らしくいられる時間か、労働か、『AMEBIC』というテクストが示すのは他でもなく分裂する自己の葛藤であり、まるで世界には2つの選択肢しかない、と極端さを派手に踊ってとっ散らかってみる、ぶっ飛んだ繊細さは初期金原ひとみの尖った魅力だと思う。それでも、非労働の時間を「生きている」と思えるのは端的にいってナイーヴなオプティミストだろう。このとき、「書く」ということはどういう時間にあたるのかが重要になってくる。書いている時、生きてる? 死んでる?

2023/10/07

疲れていると疲れている人が見えてくる、疲れていても相手に疲れを悟らせず、笑顔をふりまいてくれる人の尊さ。今これを書きながら槇原敬之「太陽」が流れていて、「誰かのためを幸せを 当たり前のように祈りたい」というフレーズ。すっと歌詞が入ってくる感じ。自分のことは二の次で人のために、疲れている。

2023/10/02

帰りの電車で『左川ちか詩集』を読む。10年ぶりくらいに「雪線」の熱情に撃たれて疲れが吹き飛ぶ。でもそんな詩の終わりの言葉には目を向けていなかった。

何がいつまでも終局へと私を引摺つてゆくのか。(左川ちか「雪線」)

ほとばしる冒頭の思いとは裏腹に、一気に冷却されるような落ち着きを払ったセンテンスで締められるなんてイメージはなかった。感嘆符の散弾銃を激らせ溢れる情熱の眩さに撃ち抜かれた者からすると、熱りも冷めた、最後の言葉が10年の時を経て重しとなって現れたことは意外だった。私が引き摺っていくのではなく、あくまで私を引き摺っていく抗い難い引力のことを詩性というのかもしれないし、そうして引き摺られた跡のことを詩というのか、しかし詩の跡は雪の跡のような儚さ。そんな跡を丁寧に彫琢していく営為の切なさ。

2023/09/27

忙しい。「すべての労働は売春である」(ゴダール)なんとなく反芻している。売春ほど非対称な「忙しさ」なのかといわれると、無論そんなことはない。働きながら売春、売春と憎悪を堰き止めるのも、売春に申し訳ないだろう。

 

ちなみに「ブルセラ」という商品の「売り手」と「買い手」が誰か、という問いについても誤解を正しておかなければなりません。「ブルセラ」の市場は、「ブルセラ・ショップ」という性産業によって媒介されています。性産業のなかではビジネスの経営者はしばしば(以上に)男であり、かつ消費者も男です。買売春をふくむ性産業は、誤解を受けているようですが、「女が自分の性を男に売る」ビジネスではなく、ほとんどの場合「男が男に女の性を売る」ビジネスです。「商品」である女には客を選ぶ権利はありません。買春を売春といいくるめるのは──事実、今でもわたしのワープロでは、「ばいしゅん」とうちこめば「売春」はすぐに出てきますが、「買春」は出てきません──「買う男」の責任を「売る女」に転嫁する、ことばのマジックにほかなりません。そこでは「売る女」がスティグマ(烙印)を与えられます。

上野千鶴子『発情装置』(2019 岩波現代文庫 22頁)

2015/05/07

ディケンズの"A Madman's Manuscript" (1837)は、「狂人」に女性を売り飛ばした男たちが、彼の手記によって告発される形式を採っている。例えば、 "I saw a smile of triumph play upon the faces of her needy relatives, as they thought of their well--planned scheme, and their fine prize." という文からわかるように、女性と交換したことによって、女性の家族にお金が入ってきたことが暗示されている。あるいはそうして手に入れたお金によって、 "proudest of the three proud brothers" は、 "commission"の位を得た、と「狂人」に告発されるのである。"commission"は軍人の中でも高い位置にある称号であり、アッパーミドル以上であることを示すものである。このことからも、女を売り渡したことによって、成り上がることが可能になった男の存在を読み解ける。このように「望まない結婚」によって女は沈黙を強いられ(実際テクストには"She [the wife] never liked me" , "She loved another" と「狂人」ではなく別の男に好意を抱いていたことが示唆されている)家族ないし男たちがお金を得るために、女を売り飛ばしたことが描かれている。さらにいえば、売り飛ばす(正常な)男/売られる女という権力構造を読み解くことができる。あるいは、テクスト後半で語られる「狂人」の" This was the man [proudest of the three proud brothers] who had been the main instrument in forcing his sister to wed me; well knowing that her heart was given to that pulling boy." をはじめとする怒りの語りは、「売り飛ばす男たち」に対して「沈黙を強いられた女」の怒りを代表させたものと読むことができる。しかし、結局のところ、このテクストにおいては女の怒りを代表するのは男であり、女自身による女の語りはオミットされている。言い換えるなら、このテクストでは語る男/語ら(れ)ない女という構造が温存されているのだ。実際、妻の怒りを代表しているかのようにみられる「狂人」である男は、"old sprits"が耳元で、" [...] time was come"とささやいたとし、妻の眠りのうちに、換言すれば沈黙のうちに殺そうとするが、そこにみえるのは家父長権威的イデオロギー(=支配する男)の執行であり、反抗する余地を与えない男の女に対する支配の欲望である。この支配の欲望に対して後ろめたさを感じる男たち(「狂人」と「兄弟の中で最も傲慢な者」)の物語終盤の口論は、自身の女に対する後ろめたさをまさに互いに投影することによって成り立っている。そのため口論の中には「傲慢な者」の" [...] an insult to her memory." に対して、「狂人」の"You were very fond of your sister when she was alive" と、女を辱めたのはお前だ、といった意味の語りが男たちの間でなされることになり、互いに女に対する正義感をぶつけ合うが、これは男たちの女に対する後ろめたさの投影に他ならない。
妻が眠りから覚めた途端狂気に陥ってしまうというのは「狂人」の予想を裏切るという意味でアイロニカルだが、テクストにおいて彼女が「初めて目を開く」のがこの部分であり、目を開いた世界とは彼女を売り飛ばした男たちと彼女を支配しようとする男の支配する「男社会」であり、「男社会」に耐えきれず彼女は「男社会」の犠牲者として再び目を閉じてしまうと言えるのではないか。端的にいえば「男社会」において彼女は「一瞬しか目を開けられない=何も眼差すことができない」ことがメタフォリカルに表されている。眠りの世界でしか、彼女は自身の感情を表に出すことができない("She had been weeping" )また、テクストの登場人物に固有名が与えられていないことから、月並みだが、「狂人」の妻のような売り飛ばされ沈黙を強いられた女性を一般的なパースペクティブで捉えられると同時に沈黙を強いる男たちの存在もまたみえてくる。このように、「狂人」は一見妻の怒り、女の怒りを代表する人物のように思われるが、妻を無抵抗のうちに殺そうとする場面から、支配する男の権力に加担しているマジョリティであることがわかる。「狂人」に関していえば、妻は医者を介して「狂気」が診断されたが彼は彼自身のスティグマタイズによって自身を「狂人」としていた。これは自らへの他者化、つまり一般的なレベルでいえば、妻の「狂気」には医者の客観性が生じているが、主人公の「狂気」はあくまで「狂気」の血を理由に挙げる主観的なものでしかない。これらが示唆するのは、主人公である「狂人」はパフォーマティブに「狂人」という役割を演じているにすぎない、という可能性である。むしろそこで焦点化しなければいけないのは、「男社会」という舞台で目覚めることもできなかった、眠り続ける女性であり、女性は家で自身の欲望や感情も表に出せず、幽閉されていたという事実である。

2023/09/21

働いた。ずっと働いていると蛍光灯の光がどんどん貪婪に射してくる。誰もいない暗いオフィスは安らかで、「プールサイド小景」のような不安はない。疲れると匂いと光へ敏感になって、剥き出しの神経を世界に曝してしまっていると思う、ボードレールが風邪をひいた時の過敏さを詩性に重ねているが、そんな美しいものではなく、ただただ疲れているのだ。