英明は掌で鼻と口を押さえつけたまま、急ぎ足で駅に向かった。青くすら見える星がさえざえと光る冬の夜空の下を、どこかの工場からのガーン、ガーン、という音が、低く鈍く響いていた。
鷺沢萠「朽ちる町」『帰れぬ人々』
お見舞いに川崎へ行った。川崎に行くのは2回目。京浜工業地帯、というのが僕の川崎のイメージで、つまりどこか灰色の工場、吐き出される無数の煤煙、極彩色のコンビナート、ということだけど、駅前は綺麗に整備されていて、確実に人の息づかいがある。
何より素晴らしいのがコンビニの前に喫煙所を置いてくれていること、しかもその数! なんて寛容なんだとついうれしくなってしまう。少し前の池袋を思い出していた。そうなんだよね、東京を抜けるとタバコに結構寛容だったりするんだよね。それがクールジャパンでしょ。嬉々としてストロング缶を喫煙所でやってしまう。呵々!
お見舞いに行ったあと古本屋で見つけた鷺沢萠をぱらぱら読んでいる。こんな軽やかな文章を書く人が、同時に信じ難い闇を抱えていることへの戸惑い。
ただ、愛している相手に対する最低限の礼儀として、一緒にいるならせめてつまらなそうな顔をするものではない。「自分しか見つめていない目」を感じれば、それはやっぱり嬉しいものだ。
[...]
だから。
待ち合わせた場所で恋人の姿を見つけたら、最高の笑顔を見せてみよう。
ふたりでいられる大切な時間を、つまらない意地やツッパリで台無しにするのはもうやめよう。
そうして、町へ出て、ほんとうにこの人が好きだと感じる一瞬が訪れたなら、頬でもいいから、キスをしよう。
この軽やかさって奇跡だよね。
川崎という街は鷺沢と似ている。無論「朽ちる町」 は川崎を舞台にした物語だ。表面的に洗練されていて疑いの余地もなく明るく、柔軟なのだけど、一歩路地に踏み出せば深い闇。光/闇の残酷なハレーション、それらの溶け合うことのない両立。しかしまあ裏路地は、あ、これ以上進むとやばいな、と直感的に後退りする。
清水邦夫の都市論的テーゼ、要約すれば「街には闇が必要だ」ということを反芻している。"enlightenment"という英単語は示唆的だ。「無知の闇に光を照らす」。もっと光を。最後に再度鷺沢を引用する。
暗くなった町の中を、大通り沿いの街灯だけが黄色く濁って光って見えた。うるむそれらの光を見ていた英明の耳に、その昔の遊廓の、華やかなさんざめきが聞こえた。その音はやがて大通りを走る車の音と重なり、輪を拡げて英明のまわりを取り巻いた。 英明はふッと前を向き、そうしてからもういちど後ろを見やった。騒いでいた町は突然音を立てるのを止め、英明に見られているのを知っているかのように息をひそめた。
鷺沢萠「朽ちる町」『帰れぬ人々』
