文明とは伝達である

比較的喋りながらものを考えるので、喋りが抑制されるとどんよりとしてしまい、考えきれなかった言葉の澱は、発酵もせず腐敗もせず、ただただ汚泥となる。もちろん、それは自分の振る舞いの帰結にすぎないのだけれど、それでも今は、唾を撒き散らし、声を荒らげながらでも延々喋っていたいのだ。

 

体育の準備体操。

「じゃあペア決めて!」という号令。瞬間、体育館では弾ける笑顔、いやだいやだと苦笑しながらも絡み合う手の饒舌。渦中、体育座りの呪縛は解けず、ただただ息を殺している。「相互行為秩序」(ゴフマン)からの見事な滑落、社会的な視線のネットワークからの華麗なオミット。声を発しない者は、その場の意味連鎖にコネクトされないがゆえに、「不可視の他者」と処理される。透明化とは、存在が否定されるのではなく、存在していながら見られないこと、すなわち「いるのにいない」という宙吊りの境遇に他ならない。

 

「文明とは伝達である」(村上春樹)

 

明るさは作れる。正味人は苦しい状況でも、外側に向けては軽やかな光を散らすことを怠らない(眼差し、表情、手ぶり)。それはある種の生存戦略であり、社会的パフォーマンスとしての「明るさ」だろう。しかしその明るさは、隣に座る暗さを、いっそう際立たせる光源にもなる。不動の暗さに打ち付けられて、指先ひとつで押せるはずのスイッチにどうしても手が届かない。届かないのだ、と言い訳めいた声。それも暗さの「役割」かもね。

 

健診で去年より体重が4キロ落ちていて驚いた。