2023/01/14

 

 百が生まれたばかりのころ、乳を吸われながら、近い、と思った。この子となんと近くにあるのだろう。腹の中に宿していたときよりも、なお近いように思った。可愛いだのいとおしいだの、そんなものではなかった。ただ、近かった。

 関係は、近くない。遠い、というほどではないが。関係があっても、なくても、かならず少しだけ、へだっている。

川上弘美『真鶴』

 

人間の関係性へ感情は束ねられがちで、親子の関係なんて特に感情の積み重ねの連続で成り立っていると思うけど、親が子に対してただただ「近い」という即物的なスケッチの不思議。

 

感情をオミットすることでどこか冷たい印象が付与されがちだけど(ex: ミヒャエル・ハネケの被写体に対する冷徹なミドル/ロングショット、ブレヒトの「異化」、ソローキンのいくつかの作品)、上記の引用からは冷たさを感じない。ただそこにいる、あるという存在論的素朴さをあくまで平易な、そして感情にはおよそそぐわない言葉でもって収めることのスリル——思えば「神様」も「蛇を踏む」もただそこにいる、あるということについて淡々とした受動というか、不可思議をするっと受け入れてしまうゆるさがある。

 

句読点の多用はほのかに優しい息遣いで、センテンスを締める言葉(「近い」「へだって」)を一層際立たせるアクセントにもなっている。この句読点が心地良い。